日記の良さを伝え隊

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お母さんの弁当は愛情でできている

今週のお題「お弁当」

 

昨年末、火の用心の当番の夜、拍子木を打ちながら一緒に見回りをした大先輩の男性と話していた時のこと、

 

「弁当なんて一つ作るのも二つ作るのも同じだよな。」

 

という言葉にカチンときて、つい言い返してしまった。

 

「○○さんが弁当を作ったことがあって、一つ作るのも二つ作るのも変わらなと思ったのであればアレですけど、一つしか作らないのと、二つ以上作るのとではまるで違うと私は思います。」

 

別に言い返したところで気まずくなるだけで、誰も得をしないのだから「そうですねぇ」とスルーすればよかったなと、今になっては思うのだけど、その時はそれができなかったんだな。

 

お弁当って、たとえ残り物を詰めるだけでもいろいろと考えるもの。

 

栄養バランスがなぁとか、色味がよくないかなぁとか、特に残り物を詰める際には昨夜と同じ内容になるわけだから飽きちゃうよなぁとか…そうした心の葛藤で結構疲れる。

 

ましてや二つとなると、もはや残り物では足りないから、何か作らないとならなくなる。

 

弁当の為だけに玉子焼きを作るなんてことよくあるけど、洗い物増えるしさ。

 

そうした手間や悩みを知らない人に「同じだろ」なんて言われたのが気に入らなかったんだ、たぶん。

 

私だって弁当作るのがこんなに大変なんて30歳過ぎるまで知らなかったんだ。

 

中・高・短大・社会人になってからも最初の頃、なんだかんだで10年近く、母は私に弁当を持たせてくれた。

 

そしてその当時は当たり前だと思っていた母の弁当のクオリティに、今更ながら脱帽。

 

美味しかったし、彩はよかったし、きっちり詰まっててよれもせず、冷たくても食べきれる多すぎず少なすぎないボリュームは、もう愛情の成せる業としか言えない。

 

しょっぱい玉子焼きを好む私と、甘い玉子焼きを好む妹に、それぞれに玉子焼きを焼いてくれてた。

 

「いつも同じでごめんね」と言って、ネギを入れてくれたり、海苔を巻いてくれたり、どんだけの愛情が詰まってんだか。感謝しかない。

 

お母さんの栄養満点弁当は身体の栄養だけでなく、心の栄養も満たしてくれてた。

 

私の住んでいるところでは中学校の宅配弁当化が進められている。

 

便利だし、私も利用すると思う。

 

だけど、週に何回かは、私の愛情詰め詰め弁当を息子に作ってあげようと思う。